大林映画、新・尾道三部作を早稲田松竹で観る
大林宣彦といえば、出身地・尾道を舞台とした映画を多く制作している監督。
その大林監督のフィルモグラフィーの中でも「尾道三部作」「新・尾道三部作」と称されている作品群があるんですが、その”尾道サーガ”全6作を2回に渡ってオールナイトで上映するというイベントを東京は早稲田松竹で開催されるというので行ってきました。
と言っても、自分が観に行ったのは後半の「新・尾道三部作」だけだったんですが。
もともと最初の尾道三部作『転校生』『時をかける少女』『さびしんぼう』はLD(!)も持っていて劇場のみならずさんざん何十回となく観賞してるので今回は「まあ、もういいか」という感じでパス。
ですが「新~」の3作は、実は『ふたり』以外は見逃していて、「これはこの機会に観ておかねば!」との思い強く劇場に赴きました。
…まあ、『ふたり』もLDを持っててやっぱりさんざん観てるんですけどね。
以下は館内に掲示されていた作品解説パネル。
こういうのをきちんと作る劇場って、いいですね。
感想と共に紹介。
『ふたり』
ほんわかとした雰囲気に惑わされるけれど、実はこの物語の中では3つの『死』が訪れる。
それがそれぞれの登場人物の肉親(姉、父、母)というシチュエイション。生きていれば、誰しも肉親の死に遭遇するのは避けられないわけで、裏にそういう主題もこの作品には隠されているのかもしれません。
改めて観てみると父親(岸部一徳)が出張先の小樽へ「帰る」と言ったことに実加が顔を曇らせるくだりとか(本来なら「帰る」のは尾道の家であって、小樽へなら「戻る」と言ってほしいと娘は思ってる)、気付かなかった部分がいろいろと見えてきました。
(以前の観賞では単に『こんなに早く、もう帰るの?』程度だと思ってた)
最後のシーンで坂道を登って行く後ろ姿は、石田ひかりではなく姉役の中嶋朋子なんじゃないかな? と思うんですが…
(あるいは大林監督がどこかでそんな裏話をしていたような気もするのだけれど、失念)
この『ふたり』くらいまでの大林作品は、なんでか知らないけど非現実的な会話が挟み込まれてそのたびにちょっと萎えたりするんだけど、
(たとえばこの『ふたり』の中では中江有里の「時々夢見る少女になっちゃうんだわ」とか、石田ひかりの親友・柴山智加の「学級法定の開催を要求します」だとか、尾美としのりが従妹の中江を「まりっぺ」と称するとか…)
それもまた大林ワールドだと思って我々ファンは観るしかないね、と35年以上ずっと思ってます…
…うむむ。
それでも好きです、大林監督。大学の夏休みに2日間かけて尾道ロケ地巡りするほどに。
『あした』
ずっと見逃し続けてて、一度は見たかった作品。
大林監督にはめずらしい濡れ場がある…
でも『はるか、ノスタルジィ』や『SADA』と比べるとぜんぜん無理なく見れた。こういう清潔感のある濡れ場なら大林演出もうまく合致していいかんじになるのかも。
宝生舞がクレジットで「(オーディション)」になってたから、これが実質的な映画デビュー作になってるのかなあ。
この作品に限らず、アイドルを女優に開眼させ、オマケに脱がせるのが実に大林監督は上手いです。『HOUSE』では池上季実子にがっつり脱がせてるし。
でもエロくはないからいいんだけど。
(あ、宝生舞は脱いでませんヨ)
その『エロくなさ』が大林作品の欠点にもなるんですけど。(多くの場合は利点ですけどね、もちろん)
『あの、夏の日~とんでろ じいちゃん』
原作は山中恒。尾道三部作の1作目である『転校生』と同じ。
同じ原作者の作品を、新・尾道三部作の結びにしたことに、大林監督の思いが込められているように思います。
尾道の老夫婦と東京の孫との交流ということで、尾道⇔東京の地理的関係や縁故者との関わりなんかは、ひょっとしたら小津安二郎『東京物語』を監督はちょっと意識してたのかも、などと勘ぐってしまうんですが。
だとしたら、この映画は『東京物語』の裏返しの作品ということになるのかも。
こうして改めてまとめて観る機会を得た上で「尾道」をテーマにした大林監督の全6作を眺めてみて思うのは、
前3作は「失われてしまうものへのセンチメント」
(『転校生』では入れ替わった互いの存在、『時かけ』は未来に出会う相手、『さびしんぼう』は幻のひと)を、
後3作は「亡くしてしまった誰かへのノスタルジィ」
(『ふたり』の姉、『あした』では沈没した船に乗っていた肉親や恋人たち、『あの、夏の日』はボケつつあるじいちゃん)を謳っているように感じるのですが…どうなのかなあ。
ただ、前三部作はその想いを主人公はずっと抱えて生きていくんだけど、新三部作になると、亡き人への気持ちを越えて新たな人生を踏み出していく…みたいな違いを自分は感じました。
ま、あくまでも個人的な感想なんで。
早稲田松竹は、オールナイト興行を観賞するのは実は初めて。
自分は30年も昔の学生時代からちょくちょく通っていたんですが。
一度は閉館に追い込まれたこのハコ、東京から名画座がどんどん消えていっている中、がんばり続けていってほしいものです。